昭和60年、ひらふスキー場、リフト会社2社、新型高速リフトが稼動する。今までのリフトより3倍近い高速で運行可能であり、1秒間に4mの速度を保ち、毎時1,800人の輸送能力がある
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昭和61年12月4日開始のゴンドラナイターは国内初の試みであり、高原救助隊、羊蹄山ろく消防署との合同救出訓練が行われた。
国鉄胆振線の廃止は室蘭・伊達方面からの交通手段が道路だけとなり、前線開通以来44年の歴史があった胆振線の廃止を、惜しむ声は町内外に広がったが、国鉄合理化の前にはなすすべもなかった。同時に函館本線の特急「北海」(昭和42年3月開始)、急行「ニセコ」(昭和43年10月開始)も廃止され、本線上から特急・急行が姿を消した。
昭和40年6月に完成し、20年間親しまれていたアルペン山荘は、本年61年12月7日に「ホテルニセコアルペン」240名収容のホテルとしてオープンした。
昭和61年、ひらふスキー場パトロール隊は、倶知安スキーパトロール赤十字奉仕団を主体に、現在隊員41名・5人1組でパトロールをボランティアで行っている。
5月加森観光、アルペン北側・鏡沼付近の約100ヘクタールの国労共済所有地にスキー場計画を立て、東急グループとの綱引きを行う。
アンヌプリ南斜面に発生した大亀裂に対し、1月8日ニセコスキー場安全利用対策協議会により、4社5基のリフト運休を申し合わせ、支庁が立ち入り禁止を呼びかけた。11日まで運休が続く。
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