初代ヌプリの鐘、昭和48年設置の「小助川の鐘」と標高が同じ千m台地に、ツアースキーヤーの遭難防止にと願いを込め設置 |
ニセコ高原振興会は昭和43年発足し、2年後にはひらふスキー場20宿泊施設のうち民宿5軒を除いた15件が加入していた。 昭和53年10月末、宿泊施設の大半の15件がニセコ高原振興会を脱会し、続いて会長も辞任、機能が停止する。名称はニセコ高原振興会町内会、スキー場協議会を経て比羅夫スキー場振興会と再結成される。
ニセコ高原振興会会員名簿(昭和45年11月1日時点):(1)山田温泉、(2)大雪閣、(3)ニセコ高原ホテル、(4)比羅夫観光ホテル、(5)白雲荘、(6)比羅夫山荘、(7)さかえ、(8)浦中、(9)銀嶺荘、(10)高木山荘、(11)白樺、(12)ビクトリア、(13)サンモリッツリフト、(14)国立望羊荘[準加入]、(15)岡田[準加入]
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昭和54年、道「雪の祭典」は4回目を迎える。道観光連盟、後志観光連盟、支庁、倶知安町、ニセコ町、蘭越町、観光業者など46団体で構成され、道関連の冬の祭典としては最大規模である。
国設ワイススキー場は累積赤字3億円にのぼり、転売決定を倶知安営林署は下したが商談不成立と成り、今冬は貸し付けることとした。リフト使用料金は172万円、ヒュッテ使用料は150万円。
昭和54年、スキー場内宿泊施設の新築、増築ブームが起こり、収容人員数は25%も増大する。 |