道とニセコ積丹小樽海岸国定公園管理事務所は、山頂直下間でのリフト架設を、1,200m地点まで認め、ロープウェイも1,000地点まで認める方針決定。この地域は昭和44年の利用計画により1,000m以上は無施設地域と決められており、現リフトの最終地点は990m前後であった。道、講演事務所、道自然環境保全審議会の三者は昭和56年10月、57年3月に現地調査をしており、今回の決定につながった。だが、この地域は現在の景観を極力保護することが必要な「国定公園第1種特別地域」に入っており、スキー場関係の1,000m地点へのロープウェイ導入は自然景観を壊す恐れがあるとのことで不適当とされた。
倶知安町と町スキー連盟はひら夫スキー場に国際級の大会を呼ぼうと、昭和53年3月にFIS(国際スキー連盟)に公認コース指定申請をしていた。昭和57年8月にFISフーバート・スピースアルペンコース委員長の現地調査は公認コースへ大きく前進した。調査は回転・大回転・滑降のそれぞれに従って、斜度・標高差など国際スキー連盟の規格に照らしながら行われた。
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昭和58年、第2駐車場の夏期対策としてテニスコート用舗装と同時に北側用地に芝を張り、ゲートボールコート2面を造成した。5月9日の実技講習会は40名近い参加者がいた。
昭和58年、東山スキー場の進出でひらふスキー場のリフト施設の充実が見られ、ペンション等の建設ラッシュも起き、近代化が進む。
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昭和59年、ニセコスキー場安全利用対策連絡協議会は1月、アンヌプリ山頂近くでの亀裂騒ぎ、日航スチュワーデスの遭難騒ぎ(2月)の二つの事件がきっかけで後志支庁が音頭をとり、関係機関の協力を得て設立にこぎつけた。初年度役員、会長後志支庁長、副会長倶知安町長、倶知安、蘭越、ニセコ各町長、営林署、林務署長の行政関係に加え、リフト業者、三町の観光協会長14名がメンバーである。
4月、全国国有林レクレーション利用協会函館支部の設立総会が開かれた。同協会の全国組織は、昭和59年11月に結成された。函館支部は渡島・檜山・胆振・後志管内27市町村の首長・関連企業10社の代表が集まり支部長に、宮下倶知安町長を選出し、情報交換・広報・調査・研究・要望の集約事業を行い森林レクレーションを進めることを目的としている。
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