1940年 |
昭和15年 |
- 北海道竹パルプ(株)島野村老古美に設立
- 戦線ますます拡大し、東京・札幌オリンピック大会を返上して戦争に埋没していく
- [2月8日]第18回全日本大会が開かれるが、この年より軍隊競技が入る。選手も軍人が多く、軍は国防スポーツとして、スキーを大きく取り上げ始め、ジャンプ競技を軽業式競技とは排斥し戦技を採用していった
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1941年 |
昭和16年 |
- [3月27日]北海道竹パルプ(株)焼失
- [7月10日]戦時色の強い倶知安体育協会が発足しスキー部を設置
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1942年 |
昭和17年 |
- [2月11日]町民皆スキー行進、倶知安国民学校、スカンコ山までの間で実施
- [2月22日]大仏寺スロープ、全後志スキー大会の記事に旭ヶ丘スキー場の名称が始めてでる
- [11月27日]札鉄でスキー持込指定列車発売開始
- 全日本スキー連盟解散
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1943年 |
昭和18年 |
- ニセコ山頂に寒地航空学研究のためニセコ観測所開設。山腹と山頂の2ヶ所、山頂は北大低温研究所、中谷宇吉郎教授指導の観測所
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1944年 |
昭和19年 |
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1945年 |
昭和20年 |
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1946年 |
昭和21年 |
- 倶知安第1回回転記録会
- 札幌藻岩山に国内初のスキーリフトが米軍専用として建設
- [11月26日]後志観光協会設立
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1947年 |
昭和22年 |
- [1月24日]第1回全道逓信スキー地区予選。旭ヶ丘スキー場で開催
- [3月9日]第1回ニセコ滑降大会。ニセコで開催
- [12月]倶知安スキークラブ、倶知安スキー連盟に改まる。初代会長、作田勝一、副会長、旭行男、理事長、笠原道外
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1949年 |
昭和24年 |
- 山田温泉22室に増築
- [5月16日]羊蹄山を含む支笏・洞爺湖国立公園に指定される(含む)
- [6月22日]倶知安観光協会設立
- [12月25日]倶知安スキー連盟主催、第1回ニセコ大回転スキー大会モイワスキー場で開幕
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1950年 |
昭和25年 |
- [1月18日]第1回札幌雪祭り
- [8月5日]ニセコ一帯、道立公園に公示される
- 倶知安・狩太・蘭越の三町村でニセコスキー連盟を設立
- ニセコ循環観光道路着工
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1951年 |
昭和26年 |
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1952年 |
昭和27年 |
- [4月13日]第1回町長杯争奪ニセコ大回転大会比羅夫コースで開催
- 山田温泉に自動車用道路開通
- [12月21日]第4回ニセコ大回転競技大会モイワで開催
- 脇方で野村(野村スキー)を招きスキー講習会を開く
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1954年 |
昭和29年 |
- 旧馬込産業所有(現ひらふスキー場はその一部)町が買収をする
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1955年 |
昭和30年 |
- 荒井山にスキーリフト免許がおりる
- 虻田スキー連盟、モイワ〜アンヌプリ〜山田温泉へのコースを定例化する
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1956年 |
昭和31年 |
- 商工会議所・地区労・スキー連盟が計画し、旭ヶ丘にロープトウが着く(1日券100円)
- [12月17日]全道アルペン地区予選会より旭ヶ丘ロープトウ運転を開始
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1957年 |
昭和32年 |
- 登別温泉にケーブル免許
- [6月16日]国道5号線舗装工事着工
- ニセコ山系温泉群、国民保養温泉卿に指定される
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1958年 |
昭和33年 |
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1960年 |
昭和35年 |
- ニセコスキー連盟に喜茂別・黒松内も加盟
- [6月30日]倶知安駅新装工事完成
- [9月14日]天狗山にリフト免許
- 山田温泉移設工事、山田部落電化、比羅夫橋永久化工事と近代化が進む
- [12月]快速ニセコ号試運転
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1961年 |
昭和35年 |
- [1月15日]第10回倶知安町長杯ニセコジャイアントスラローム大会比羅夫コースで開催
- 北海道ファイバーボード(株)竹中治社長一行、ワイス視察
- [5月26日]山田温泉新館工事着工
- [5月26日]倶知安町およびニセコスキー連盟は北海道ファイバーボード工業にニセコ比羅夫コースにスキーリフトの設置を陳情
- [6月4日]青山温泉不老閣全焼
- [6月8日]竹中日東商船社長ニセコ比羅夫口に初のリフト建設を決定
- [6月24日]第10回全日本選手権アルペン大会ニセコひらふコースに決定
- [6月]ニセコ高原観光株式会社発足、7月5日登記
- [6月29日]町議会ニセコ高原に町有原野20年間無償貸付決議
- [7月20日]ニセコ高原第1リフトで起工式
- [9月5日]旭ヶ丘にスキーリフト工事着工
- [10月5日]ニセコ高原ロッジ建設着工
- [10月30日]ニセコ循環観光道路完成。昭和25年から工事を始め、昆布温泉より国鉄山の家を経て倶知安へ
- [12月]安東興業、大丸ヒュッテを建造
- [12月14日]樺山・山田地区の部落で本道初の民宿組合「ニセコ高原スキー場民宿組合」結成
- [12月17日]リフト完成オープン行事、年内リフト無料開放、臨時列車「ニセコ号」が運転。200名が招待され、地元を含め400名で完成式を行い夕方までに2万人の人出
月日不詳
- 山田電農、ニセコ高原が買収
- ニセコ高原と町の通信手段は無線公衆だった
- スキー場の名称をニセコひらふスキー場と平仮名で発表
- 倶知安・ニセコ・蘭越線は道々に移管
- 倶知安とひらふスキー場の除雪は自衛隊のブルが行う
- 比羅夫駅より国鉄バス運行を始める
- 比羅夫駅改築
- 倶知安スキー連盟会長、菊池仁作、理事長、千坂功司、ニセコスキー連盟(倶知安・狩太・蘭越・黒松内喜茂別管内スキー界の中心勢力)、会長、佐久間三機、理事長、秋山有俊
- 国鉄は準急「ニセコ号」を土日曜運行
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